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ESP器具の由来

ESP指導テープ

ESP創始者・石井普雄先生のESPパワーが封じ込められております。ESPパワーは「宇宙のま心」ですので、心の願うままに任せ、心を無にして聴いてください。ESPの交流は宇宙の「幸せのしくみ」を与えてくれます。

ルーツ(由来)

昭和52年4月その頃は郷里佐賀で念力治療のみ専念して居た、或る日の昼頃近く、治療中電話のベルで受話器を握った中年の女性の声のよう「腕が痛く手が全く上に上がらない、治してもらえるでしょうか」・・・治せますとは言えない。一瞬、不思議な心境に走りかけた途端、握っていた受話器を下に、思う間もなく、右手の掌を前に突き出し「アー」と唸る様な声を出している。5秒位した頃、受話器の中の声で先生手が軽く上に挙がりましたという。

驚嘆、感激しその頃は毎月始め1日から5日までに大阪に出張施療をしていたので、早速身体に痛みある人は勿論、いろいろの症状に応用した。1分内外の送念ですべての人の病苦、症状が変化したのである。1分間の電話送念で病気の苦しさから解放された、病院に通う必要もなく快くなる、これ程の有難い果報が世界の何処にあるだろうか、その大きな喜びは誰云うとなく大阪のYテレビに伝わった。

昭和52年12月、同テレビ局のディレクターとカメラマンが佐賀の目達原に居る私の所に取材に来られた。今まで苦しかった私は俄然青年の若き情熱が彷彿と嬉しくて堪らなかった、たちまちテレビ出演が決定した。

昭和53年1月25日午後2時から3時までのワイドショーの生番組。テーマは「電話で痛みを治す不思議なこと」会場は大阪・千里山の「よみうり文化ホール」であった、会場は500人余りの人が集っていた。話し相手役は笑福亭鶴瓶さんで会場外から電話を受け送念した。受けた本人から直ちに返事が来た。会場の人の驚きと反響は凄かった。これは私も予期したことだった。電話で病気を治すのだから当然だ。

出演が終わり翌日家に着くと電話は昨日3時から鳴り放しで大変なことだと家族は云う。それから連日24時間電話のベルが止まったことはない。朝5時から深夜1時まで最大限の電話送念治療の奮闘をした。2ヶ月経った疲れはない、三度の食事もゆっくり出来ず、入浴も忙しい。有難く嬉しい毎日であったが、この日常の状態が続いたらどうなるだろうと自分の身体の自信に動揺が来た。

そのとき一瞬のひらめきが、それはこの念力の腹の底から湧き出る声をそのままカセットテープに入力したらとの思いが来た。直ちに実行した。2分ほど私は息が続くので2分間の念力のテープであった。このカセットテープを20本つくり、特に身体の痛みの激しいリュウマチ、腰痛、足痛、特に症状の悪い人に郵送した。

カセットテープの説明は出来ないので勿論説明書は入れられない。同封したのはこのテープを10日間位1日1回でも2回でもよいから聞いてください。もし、痛みに効果が出たら12,000円同封の郵便振込用紙に送金してもらいたい。12,000円という数字はどこから来たのか、それはこのカセットテープを売ったら天罰が恐ろしかったから1ヶ月1,000円のお礼で毎月お願いできないので1年間分まとめての金額であった。

20人にこのカセットテープを送ったが、このお礼のお金が送られて来るか、来ないかの不安の気持ちは全く去来しなかった。それより不思議なほど安心感の境地になった。送ってから1ヶ月近くになったら1人2人金を送って来た嬉しい日が続いた。2ヶ月した頃送った人の20人、全部の人からお礼が届いた。送られたカセットテープには何の使用説明書もない、異様な私の唸り声だけである。送った20人全部に効果があったのである。それから私の感激と感謝の絶頂の日が続いた。1人1本でも返品があったら今日の私はなかったと思う。

これがESP指導テープ出現のルーツであります。


エスパーシールとワンダーシール

エスパーシールは磁気や薬物は全く使用しておりません。単に印刷されただけのシールですが、科学では解明できない大宇宙の「ま心」が常時交流しております。シールを苦痛部分に用いるだけで、心身の悩みから解放され、心にやすらぎが広がります。使用の基本は自分のひらめきで想った所に、想った枚数を用いてください。かぶれる方は下着や包帯の上からご使用ください。そのまま風呂に入っても差し支えありません。

ワンダーシールは電気・ガスのメーター、テレビ、冷蔵庫、風呂のフタ、勉強机、農家のビニールハウス、工作機械、身の回りのの生活器具などにご使用ください。金庫やレジ、財布、家の玄関の上部、家屋の中枢部分。店舗、会社、工場の入口または、家内の重要部分。門標、電話機、自動車のハンドルなど想うところに想った枚数をご使用ください。

シールはどのように授けられたか

大阪から東京に拠点を移したのは昭和57年の7月20日であった。当時すでに「ESP指導テープ」は大阪で製品化されていたが、そのテープの封緘にはこのようなラベルを使用していた。

東京に進出してからは後援者であったK氏にあれこれ手厚い指導を頂いていた。この頃ESPのパワーの象徴としてシンボルマークを定めようということになり、同氏の知り合いのデザイナーに依頼し造られたのが、一枚しか持って来なかった今のシンボルマークである。そのマークのデザインを見た途端、凄い熱気が私の体じゅうを走った。瞬間これだと直感し決定するのに僅か数秒だった。

当時ESP器具は、ESP指導テープ、快気ケット、念力腹巻、安心護符の4つであった。ESP指導テープの封緘ラベルを従来のものから、出来上がったシンボルマークを使ったシール(ワンダーシール)に取り換えた。それも無意識のひらめきであった。

当研究所にはテープを購入された皆さんがテープの指導を受けに来られていた。ところがその中にこのワンダーシールをバッグに貼っておられる婦人がおられた。またある人は財布に貼っている。

※ワンダーシール=その当時はサイキックシールといい、昭和59年米国ロサンゼルスに進出してから世界にこのシンボルが輝き、世界中の人々の幸福を願って名称をワンダーシールと変更した。

特に財布に貼っている婦人が、このワンダーシールを貼ってからは、目立って家の中が明るく活気づき、仕事の不安もなくなり、仕事も忙しくなったと言う。バッグに貼られた方は、日常の生活が急に楽しくなった事が判るという。

その事を聞いた私は、すぐ側に居た婦人が膝が痛むと言っておられたので、直ちにその人の膝にシールを貼ってあげた。1分間もしないのにその痛みが完全に治ったのである。もう私の胸中は歓喜というより、深い重厚な尊厳な気になり、封緘のラベルは即刻中止し、サイキックシールの呼称で体の痛みに苦しむ人、商売繁盛の願いの人にこのシールを奨めた。結果は上々驚く奇跡の出現に歓びの声ばかりであった。

その頃、病気の人の身体にはこのワンダーシールを貼っていたが、ピカピカ光るので肌色のシールをつくり、エスパーシールの名のもと病人専用のシールとしたのであった。

余白もないので2つのシールの活躍効果を詳細にご報告できないが、ワンダーシールは事業発展、商売繁盛に大功績を挙げ、交通事故防止には車のハンドルに貼るだけで人身事故皆無。想像できない奇跡に命を救われている。

エスパーシールは病人専用で、先月23日にシンガポールからの報告で12年来苦しんでいた腰痛が消えたという。使用後のシールは農家の人なら田畑に埋めること。米の収穫は3割以上品質はコシヒカリ並み、肥料は従来の1割と言っていい。畑の野菜はどうか、バイオでは不可能な美事な天然野菜である。

日本の農業の危機を救うため、K大出身の農学博士の指導で熊本県立野に広大なESP実験農場で本格的に宇宙心の農業に取組んでいる。この成果はボツボツこの8月から現われる。ESP友の会員の農家の人はESP指導テープの活用、使用後のシールを埋め、また「ま心新聞」の灰での土壌改良で驚異の成果はすべて実験済みの人たちが多いので当然と思われるでしょう。

ワンダーシール、エスパーシールはノーベル賞をとっても不思議ではない。人智の科学ではなく、超常社会の行動だから、事は必ず成る。


ESP器具の由来(快気ケット)

常時ESP(ま心)が交流しています。入院や寝たきりの人にマークが上になるようにして用いてください。沈滞した心身が活性化され、明るい生活へと改善されるはずです。

由来

昭和53年ESP指導テープができて間もなくのことである。その当時、私は奈良の製薬会社の顧問をしていた。そこの社長があわてた心配そうな顔で言われるのには、この間から白血病で入院中の娘が様態が急変し、即刻輸血を要する危篤状態だという。娘さんの血液と同じ型の血液が間に合わないのだ。

その時、私は直感でバスタオルに念力を入れて患部にあてることを思いついた。私は直ちに、その社長宅へ行き、バスタオルを頂いて、バスタオルに渾身の念力を導入した。私は無我夢中で念力を導入した。バスタオルに念力の導入が終わると社長は、その念力バスタオルを娘さんの入院先に持参した。念力バスタオルを娘さんの腹部にかけてから約30分は輸血が要らなくなり、娘さんの容体は落ちついたという。いま思えばバスタオルに念力を導入したという行動は直感によるものだった。

これは正しく「ひらめきの行動」だったのだ。あれから娘さんの病状は順調に回復し、約2ヶ月後には退院された。

このバスタオルは快気ケットと名付け、主に白血病の人に使用していただいているが快くなられた人も数多く、大きな感謝を受けている。快気ケットは、白血病に限らず、様々な病状の方に使われて喜ばれている。病気お見舞いには花や果物などもよいが、この快気ケットと私の本を一冊贈られたら最高に喜ばれると思います。ESP器具は全部、ひらめきから生まれた物です。

ひらめきは神の教えとどこの指導会でも広言している通り、全部のESP器具には神の心が働いています。

今年2月の大阪指導会で花束を贈呈してくださったご婦人が、風邪を引いたときの話だが、薬によりジンマシンが上半身に現われ、薬を塗ったが、逆にひどくなってしまった。そこで“ま心新聞”を燃やしその灰を、特にひどい胸の辺りにすり込むと軽くなった。残った灰はオブラートに包んで飲んだら、スッキリ治ったという。薬で治らない皮膚の病気を新聞の灰が治した。こんなことを人に話したら笑われるどころか馬鹿にされるかもしれない。しかし、これが事実である。

農家の畑に害虫が、土壌もよくない、作物もよく取れなくなり、土壌改良しか方法がない。そこで“ま心新聞”の灰を点々と埋めた。農林水産省の技師が調べると一匹の虫もいなくなった。この農家の人は熊本のESP農法実験農場で、この3月から40数人中の1人として最大の協力をしてくれています。

あした待たれる宝船

ひらめきの行動は超常社会建設の為、世界人類にどんな喜びをみせるのだろうか。多いにご期待下さい。


ESP器具の由来(ESPネックレス)

由来

ESP本部を大阪より東京に移して一年目の昭和58年頃は、ESPに集って来られる人々にこの素晴らしさを判ってもらうために無我夢中であった。然しESP器具は指導テープを最初に、次は安心護符、快気ケット、念力腹巻、エスパーシール、ワンダーシール(当時はサイキックシール)だけであった。

身に着けるものは安心護符だけである。ESPファンの皆様からネックレスがあったらと要望が頻りに来た。その時は私もネックレスは良いだろうと思い乍らも、造る気持ちは浮かんで来なかった。

ところがその年のさわやかな初夏の朝、はっきりネックレスのことが頭を走り、この玉を握りしめたらと強い思いがした。その時はもう造る事に心は決っていた。ネックレスの王冠のデザインは最も考えるところだが、私にその深い思慮にこだわる意識は更に無く一発の構想で決った。

私は今でも素晴らしいデザインと思っている。ESP器具すべてに人間には絶対想像が出来ない“生き神”の心が動いている。それも持つ人の心を見透かしての守護の事実がある。まさに行動に、不慮危急迫れば、瞬時も与えず是を救い守る。


ESP器具の由来(幸福念志)

由来

昭和57年の始め、まだその頃は大阪の今の支社の近くの木川東之町に居た。佐賀より単身赴任で出て来て3年を過ぎて、炊事、洗濯も馴れ、前人未踏の不解明のこの力を体で判ってもらうべく、ただただ精魂傾け、全力で体当たりしていた。

無意識、発想のままESP指導テープが誕生し、快気ケット、念力腹巻、安心護符の順に次々と出現していた。というより授かっていた。なぜ自分が造っているのに授かったというのかといえば、ESP指導テープは人の心を最高の境地に誘い、不可能を可能にする超能力の真髄を現し、生まれ出よりケットも腹巻も、また安心護符においてはまるで生き物の如く持つ人の心を映しだしていた。それは大奇跡というよりもその人の願望成就の大役をこれらの器具が見せてくれ、満足を与えてくれていた。

その最中、神戸の人だったと思う。50才前後の見るからに鷹揚な男の人が商売繁盛の願いをかける形の物が欲しいと言われた。その声を聞くや、突如目の前に“ま心”の大きな文字が空間に現われた。勿論この文字を色紙に書いた。あれからすでに10年になる。多い時は一日で500枚書いたのを覚えている。今日まで何枚書いただろうか、30万枚は越えていることであろう。

これらの幸福念志は会社の事務所、事業所、商店、家庭の大事な場所に掲げられている。この“ま心”の念志はあたかも神の心の生ける如く心ある人々を導き、またその人に語りかけ、数々の望みを叶え現わしている。

以上、ま心新聞1992年3月?9月号「ESP器具の由来」より引用しました

ESP器具の由来(安心護符)

昭和55年の11月のことだ。
札幌の講演会で出席者のひとりから、
「先生のつくられた念力テープは、人の苦難を救う、得がたいものだ。神仏にまさって利益がある。わたしも試してみたところ、テープを聞きはじめたらとたんに生活が明るくなった。
ところがテープは家のなかでしか聞けない。また、外出先へもっていっても、なかなか聞きたいときに聞くというわけにはいかない。
そこで考えたのですが、いつでも、どこへでももっていけるような小さな念力お守りをつくってはどうでしょう・・・」という進言をうけた。

確かにお守りは便利だ。外出先で突然腹痛に襲われることもある。心臓が苦しくなることもあるだろう。そういうときに念力お守りは便利だ。人助けにもなる。わたしはそう考えて、お守りをつくってみようと決心した。

ところが、いったいなにをお守りの中に入れたらいいのかわからない。なにに念力を入れたらいいか迷ったのだ。そのうち、わたしにお守りをつくったらといってくれた人が、小さな紙袋を持っていたことを思い出した。

紙袋は、いわゆる福袋だった。その人の説明によると、それは、「毎年正月に保険会社の人からもらうものです」とのことだった。11月に福袋とは奇妙だが、その人は商店会の仕事をしているため、正月に商店会で配る縁起ものを何にしようかと迷って、その日偶然福袋を持っていたようだ。

その福袋の中に5円玉が入っていた。わたしは、その5円玉に注目したのだ。5円玉なら、いつでも新しいものを銀行で手に入れることができる、とわたしは考えた。そこでさっそく銀行へ行くと、新しい5円玉を手に入れ、これに念力をかけた。とりあえずはお守りはできたわけである。

ところがまだ、そのお守りの効能は実証されていない。誰かにお守りを持たせてみようかなどとわたしが考えていた矢先、大阪の証券会社を経営しておられる方から、新しいビルに移ったのでお祓いをしてほしい頼まれた。

わたしは無意識のうちに、肌着のポケットにお守りを入れて家を出た。やがてお払いがすんで社長を対談しているときのことだった。社長のほうから、「昨日から盲腸が痛む。これから病院に行ってみようと思う」といい出した。盲腸かどうか定かではないが、社長は腹が痛いという。

そこでわたしは、携帯していたお守りを社長に渡し、患部にあててもらった。すると5分も建たないうちに、痛みがなくなってきたを社長はいわれた。お守りの効能がでたのである。

これが念力お守り誕生の発端だ。この念力お守りは安心護符として、いまではたくさんの人に使われている。

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