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1986年12月号「刊行の喜びと救える幸せに」

一葉、二葉と落としながらやがて来る新しい季節への躍動を待っている母なる樹は、大地にしっかりと根づいて、すじ状の雲の下にすっくりと立っています。

年輪を樹の歴史というならば、自分の歴史はその生き方であるに違いない。

長いようでいて短い一生の間に私にとって二冊目の本を刊行出来たことは、無常の喜びでもあります。

「最後の超念力」第1弾を出した後、それからの諸々の事実と私の喜びとを精いっぱい吐露したつもりでもあります。

多様化され、混迷を続ける今の時代と、目に見えない不安を抱えるこれからの時代に、多くの人々の指針となって貰えれば、これほど嬉しいことはありません。

東北講演会における若い世代の疑問や、佐世保講演会における不況の波、札幌講演会における漁業や酪農の希望的観測、それ等すべてに私は私の力の限りの供給を続けたいと願っています。

そして私はすでに刊行された一冊目の本が多くの人々を救ったとのと同様に、この二冊目も必ず多くの人々を救えることを深く信じております。

私が今回の本にこう書いていることで、おわかりいただければ幸甚であります。

「私はかつて「最後の超念力」第1弾を出版した。

そして毎日山のように配達されてくる手紙の中から、その本を読んで体験した喜びと深い感謝の手紙をみつけた時、それは同時に私の大きな喜びと感謝につながった。

自分の力に対する確信の涙などではない。

なぜなら人々を救うために実証しはじめた私の力、その力は私を媒体にして多くの人々を助けたという事実にすぎない。

私はその人達に代わって礼を言い、涙して共に喜ぶだけである。

なぜなら「最後の超念力」第1弾を出版した後も、私は事実を証明するために、日本全国を講演し続け、その場で即刻、人の痛みを治し、その事実を会場の皆さんの目の前で実施し、この超念力が裏もなければ表もない、つまり特定のものではないということを実証し続けているからである。

私は「最後の超念力」の本を書き終えた時、必ずやこの本が多くの方々の身体の痛みを治し、心の不安を取り除いてくれるだろうと信じ「この本からは八次元パワーが発生している。この本を身体の痛い所に当てなさい」と表紙の帯に書いた。大胆でもあった。

しかし「もし身体に当てても治らなかったら」という不安や恐れは少しもなかった。般若心経の写経をしてもなんにもならない。聖書を読んでも何の変化もきたさない。

しかし、この本を読んで生活を変え、多くの人達に幸福をもたらせた」


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