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1987年12月号
「天(神)の力に方法はない」

阿蘇の山麓で紅葉を見たと思えば、吹きだまりになっている落ち葉を札幌で目にします。

目に入る様変わりにも驚かされますが、流れ去る年がもう目の前でまた次なる年を迎える時期になったことにもびっくりさせられます。まさに月日は矢のごとしですが、返りみれば今年も様々な実証がありました。私にとって助けることが使命であります。人間は気ままであります。去るものはあえて追いはしませんが、来るものは決して拒まない姿勢が、それこそ様々な形での実証をあげることが出来たのだとも思っています。

先日脂ののったスケトウダラを口にした時、ああ対馬でのイカも大漁だったなーと、しみじみいろいろな出来事を思い浮かべました。東京講演会の時、家が火事になり、「ま心念志」を胸に抱き、「先生お願いします」と願うと、火勢がものすごく強かったのに屋根のトヨを焼いただけで済んだと発表されましたし、札幌講演会では札幌を台風が襲来した折に、板木にシールを貼って埋めてテープをかけると、稲が倒れもせずに、ものすごい美味であったといわれました。また倒れかかった稲も普通なら起き上がることなどあり得ないのに通過した後ちゃんと元の通りに起き上がったというのです。

シールを貼ったリンゴの樹も、他の樹と同じようにしなるのになぜかリンゴが落ちず、選別の必要もない位に粒揃いだということで、襟裳岬の役場の人がESPを奨めているという話を聞きました。

先日の新聞で全身麻酔の結果、植物人間になったという気の毒な例を知りました。

体に入れたペースメーカーが雑音波で止まったとも知りました。

人間の内臓はどれもつながりがあります。一つ一つ分かれているわけではありません。肝臓も心臓もつながりがあるわけです。部分の改造や部品の入れ換えで元通りにするには、何がしかの障害がある筈です。

熊本講演会の後の友の会の集いでは、ある女性がバッグの中に「最後の超念力」を三冊入れ、その間にお金をはさんでいると教えて貰いました。財布は持たずにそのお金を他の人に渡す時、少しでも私のパワーが人に伝わるからだと聞かされました。

その殊勝な心がけ、人助けに思わず涙の出る思いでありました。

そして今年も握手した沢山の人達から言われた感謝の言葉が走馬灯のように目の前を通り過ぎて行きます。

どれも昨日のことのように、また遠い昔のようにも思えますが、錯覚を覚えないのはこの力の事実だけであります。

佳いお年を。


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