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1988年9月号「逆転の発想で、暗を明に」

赫々とこぼれる陽光の下で働く人々のバイタリティに、そして暗闇に輝く南十字星をとりまく宇宙の神秘性に、そして多くのすばらしい人達との出会いに、今夏私はインドネシアで噴きあげてくる熱いものを押さえきれないほどの感動を体験致しました。

同時に懸命に人のことを考える暖かい心、懸命に会得しようとする素直な心、懸命に人のために尽くす忠誠心、私たちが忘れかけていた素晴らしい<心>にふれた感激は忘れることができません。

国や環境が違っても、いつの世でも大切なのは、その<心>です。そしてその心をみた時、人は人に支えられるのだ、ということをひしひしと感じました。

また今回の講演での召請者である韓国の有名な実業家は、その一大事業を成し遂げるのに、<雨が降るから木が育つ、赤土で滑るから人がまだ踏み入れていない>と、仕事にとっての最悪の環境を最良の環境にしたのです。

これこそ私の常々説く、<悪いことは良いこと>の発想と同じくするものでした。

要は<物は考えよう>なのです。仕事でも同じことです。働かされている、あるいは、人の下で働いているのだと思えば仕事も楽しくなくなります。

ですから自分の仕事だ、自分のためだ、と思うこと、つまり逆転の発想こそ、悪を善に、暗を明に導く方法なのです。

人のため、人々のため、と思うことが自分自身の救いだということを再認識することなのです。そしてひたすら前進あるのみ、というひたむきさがあれば必ず道は拓けてくるはずであります。

万物の霊長と呼ばれるに価する心の向上心の源は、その気持ちのコントロールにあるのだともいえます。その自分の心を大事にすることが、人の心を大事にする道につながります。

それを知った時、人は自分だけでは生きられないことを、自分は人によって支えられていることを知るはずです。

そして私達が慣れきってしまっている便利さが、逆に不便になっていることにも気づきました。便利さでみえなくなった不便さです。

便利さがなければ、そこには工夫が生まれます。工夫は発明を呼びます。発明王エジソンは、不便さの中で実行したから輝かしい功績を残したのです。

ですから便利さというのは束の間の楽しみを追い続けているに過ぎないのだ、と感じられたのです。

そして人間の考えが三分であり、残りの七分は創造力であると、声を大にして言いたいのです。

いかに慌しい世の中であっても、良い方にとれば必ず光がみえてくるのだ、ということをつくづく知らされました。

幼少の頃、寺の門の前で記憶した<何事か おわしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼれる>を思い出し、他国の人と抱き合ったあの日の喜びを、すべての人と分かち合いたいのです


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