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1985年10月号
「想いは一つ平和!再び戦争の悲惨を繰り返すな!」

中国残留日本人孤児の第8回訪日調査団は135人、そのうち27人が肉親とめぐりあうことができたが、ほとんどの人が空しく中国に帰られました。

「私は中国の大地に骨を埋めます。祖国の皆さん、さよなら」「王淑琴さんは「仕方がない」とつぶやいた」と9月25日の毎日新聞は伝えていました。一人の対面も申し出のなかった祖国。「このまま一人で残って探したいのだけれど」とポツリ。その後で「仕方がない」と三度小さな声で言った。一つは「中国に残されたこと」、二つ目は「肉親が名乗り出ないこと」、最後は「中国の大地に眠ること」。

王さんは三つの「仕方がない」を説明してうつむいた。私は毎日新聞の記事を読みながら涙が流れて仕方がありませんでした。私も満州開拓団で行って終戦、民間人だから収容所に入れられ、いま日本に来られた人たちの幼児のころを見ているからです。戦争の悲惨をほんとうに感じているからです。

それはひどかった。満州にソ連軍が入ってきて大変なことになった。避難の途中でお婆さんが歩けない、どうしようもなく息子さんが日本刀でお婆さんを突き殺したんです。ほっておいたら陵辱されるかわからないからです。その現場の目の前にいたんです。それは悲惨でした。兵隊はどんどん駆けて逃げる。負傷した兵士は自爆して死んでいく。その現場も見た。それは大変なことだった。そんな状況の中で幼い、いたいけな子どもを置きざりにすることができたでしょうか。連れて逃げることはできない。それで中国の人にあげ、頼み、預けたのです。あれはほんとうの親心です。

私はいつもそう思う、親を決して恨んではいけない。そのときの子供が日本に親を、親類を求めて尋ねてきたのです。親御さんが生きておられたら、どんな小さな手がかりでもあったら名乗り出ていただきたい。ほんとうにひどかったのです。

王淑琴さんの場合、戦後40年、あの状況の中でしたから肉親の方は生存されていないかも知れません。或いは事情があって名乗り出ることもできないのかもしれませんが、どのような事情があったとしても、もしかしたら?或いは?と心当たりがある方は、どうか名乗り出ていただきたかった。

これからも、それを願わずにはいられないのです。

けれども別の面では、軍備を拡大しようとする動きを報じていました。こんなに科学が発達しているのに、なぜまた昔のように戦争をしたがるのか、国があるから戦争が起こるのです。湯川秀樹博士は世界連邦という国一つのの会長をしておられた。なかなか難しい、けれども軍備がなければ達成できます。

軍備はいらない、全人類、全世界の国民がみな賛成してくれると思うから私は声を大にして叫びつづけます。

軍備を撤廃することは当り前であり、みんなそれを願っています。みんなが願い、思っていることを私は先頭に立って実行させようと思っています。そうすれば世の中は変わってきます。

今の生活はいい人はあるでしょう。でも大多数の人は我慢しているのと違いますか。仕方がないと諦めているのではないですか。人生はそうであってはなりません。

人には寿命というものがあります。毎日毎日が、楽しくて楽しくてならないようにしなければなりません。

それが人生ではないでしょうか。頭でっかちになってしまってはどうにもなりません。

たいせつなのは人間関係です。そして家庭です。家庭が良くなくては駄目です。モノにばっかりこだわってはいけない、けれどもいまの教育は物理だけしか教えていません。人間性、人間のま心というものを教えていないのです。

誰でも人間は仲がいいのです。ソ連の国民も、アメリカの国民も、日本人もみんな想いは一つなのです。

平和です。どんなことがあっても再び戦争の悲惨をくりかえしてはなりません。


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