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1986年9月号
「豊かさの中で―今一番必要なもの」
大炎帝、敗戦の頃の記憶に一番深い花という、日輪のように大きな向日葵が、41年間という時空を超えて、今もなお私達に隘れるばかりの量感を与えてくれています。
しかしあれから急成長を遂げた現代の社会は、広い意味での曲がり角を迎えようとしています。
情報化が進み、科学は進歩しましたが、さまざまな価値観をもって混迷した道を歩いているのです。
日本の社会は決して、不動の飽食の社会ではないわけです。
そして豊かになった社会では反面、さまざまな局面をみせつつあります。
その一つ「退却神経症」と名づけられる患者が、増えつつあるということです。
豊かな社会が生んだ、無気力、無感動、無快楽もその一つであるというのです。
接客が怖くて出勤できないデパート社員。
登校拒否の大学生。
そんな群像は何を意味するのでしょうか。
特に都市について言えば、しゃにむに正業に励むことなく横道にそれても食べていけるという豊かさがあるからだともいわれます。
発展途上国では働くか働かないかの二進法文化です。
働かなければ即座に敗残者であると聞いています。
それではそれほど日本は豊かな国であり、そこに存在する社会は豊かな社会なのでしょうか。
今や発展途上国では、技術を輸入する時代に入っています。
しかし日本は行き止まりの様相を呈しているのです。
T大学のある教授は、外国旅行する若者に二つのことを希望するそうです。
一つ目は、まずはっきりした目標を持っていくこと。
もう一つは、見知らぬ土地に行ったらまっ先に高いところに上がること。タワーでもビルでも一番高い所に上がり、そこから街を平野を見渡す。
それは知らなかった街を把握し、自分の位置を知る上でこの上ない効果がある、と言っています。
これは私達にいろいろなことを教えてくれます。
今、私達はESPの頂点に立ってもう一度見直してみようではありませんか。
長崎県のある指導員の方からこんな話がありました。
裏の山から大きな岩が落ちてきたというのです。
ところが落ちてきた岩の三つともESPの指導員の家をかすめて落ちてきたというのです。
知らない人からは考えられない事実が起こっているのです。
又、がんにおかされ、医者から見離された人が、パワーの力で奇跡的に回復したという朗報は何度もいただいています。
私達のひとりひとりを、そして社会を、国を助けてくれるのは、この宇宙の力、宇宙の仕組み以外にはないことを共に改めて考えなければなりません。