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1987年7月号
「能力を悲観してはいけない。自分の能力にあった創造力が・・・」
梅雨の合間にふと差し込む空の光に、柿若葉が艶々と照り輝いています。
垂れこめた雨雲に向かって陽光を待つ心は、老若男女を問わず共通のものであるはずです。
ビルや団地の生活をしているとトタン屋根にパラパラと落ちてくる雨音が遠い昔のような気がしてきます。
人間の心は、人間が作った神の心であるのです。それ故、ESPに現われる力は、私の力ではありません。
ただ信頼され、私は一生懸命にやってきただけです。
東大をトップで卒業したN氏は、三千近い特許権を持っています。
以前、私と対談をしていて、私はこんな質問をした事があります。
「先生の発明はすごいですね。会社で働く人はみなさんエリートばかりでしょう?」
ところが意外な答が返ってきました。
「いいえ。エリートは発明なんて出来ません。私の会社の社員は百人が百人共高卒で、しかも落ちこぼればかりなのです」
私はこれを聞いて驚きました。
そして特に若い人に心から訴えたいことがあります。
能力を悲観してはいけないのです。
なぜなら自分の能力にあった創造力が必ずあるからです。
真似しようと思うから、落ちこぼれだと思ってしまうのです。
確かに学歴はあるにこしたことはありません。
しかしなくても絶対に心配は要りません。
ひらめきを行動に移すことこそ大切であるのです。
どんな人でも歩いている時、素晴らしい考えが頭をよぎるはずです。
けれども往々にしてそれを忘れてしまう場合が多いのは、行動をしないからに他なりません。
歯が痛ければ私の写真に「はをお願いします」目が悪ければ私の本に「めをお願いします」頭が痛ければカタログに「あたまをお願いします」と、堂々とやって下さい。
沢山の人達にESPの話をし、人々を助けた女性が結局は自分自身も助けられたと、実証を報告に来てくれています。
三才の男の子が喘息でヒーヒーいっていたのが、本を枕元に置いて寝たら、すっかり治ったという事実もあります。
目の悪いお婆さんが本をあてると、シンボルマークが消えて、写真の私の目が真っ白になったというのです。それ等の話を聞くにつけ私は本当に嬉しい。
私がまっしぐらに人々を助けてきたことは、決して間違いではなかったと自負出来るからです。
この力は私のものではありません。人類みんなのものです。私と共に歩いて行きましょう。