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1988年4月号
「一度信じられたら大丈夫。神(天)の心は生きている」
満開の梅、八分の桃、一分咲きの桜を一度に南紀の講演会で目にしました。
当地の生んだ詩人佐藤春夫氏の作品の中に「さんま さんま さんま苦いか塩っぱいか そが上に熱き涙をしたたらせて」というのがあります。
マスコミ等でご承知のあの一件は、私に苦さと塩っぱさを味わわせてくれました。けれど、どのマスコミ関係も私の力、この超念力の力については批判はしていないことは、おわかりいただけたと信じております。
私が懸命にやってきたことは、決してお金には代えられません。多くの人達の幸せを思う時、私は熱き涙を何度したたらせてきたでしょうか。
どんな理由があるにせよ皆さんにご迷惑をかけたことにお詫びの仕様もありません。
けれどももうこれで大丈夫です。あの苦さを二度と繰り返すことなく、これからは一層ひたすらに皆さんの幸せのためだけに邁進することができることになりました。
嬉しいことはあれ以来、激励の手紙が沢山来ていることです。なぜなら良くなかったことを体験した方がいっぱいいるからなのです。
私は子供の頃から<信じる、信じない>ということを考えたこともありません。
<わかる、わからない>の二者択一しかありませんでした。信じるとか信じないとかを考えるのは、自分のことしか考えないからなのです。
本当の力というものは理解するものではない筈です。心で、肌で感じるもの、わかり得るものです。長い歳月を生きてきて、体験してきたからこそ言えるのです。
何度もお話していますが、この力は広範囲にわたり世界人類50億人応用できるものなのです。そして返りみればみんな思い通りになっています。諦めてはなりません。
京都の方で仕事もない、集金先もない、あっちこっち回ってもお金も借りられない。そこで御主人から「保険で一人なら何とか食べられるだろう」という話まで出ているというので、電話をかけると「先生、有難うございました。銀行が貸してくれました!」と礼を言うのです。
そこで仕事へのパワーをかけると、次々と大口の仕事がきて、今は立派な会社になっているというのです。講演でその話をすると「それは私です」と名乗り出てくれました。
一回神(天)が信じたらもう心配は要りません。ですから諦めてはならないのです。
大切なことは最後まで続けることです。なぜなら神(天)の心は生きているのです。もう大丈夫です。この力を私と共にわかりあって行きましょう。